24歳で痛風予備軍38歳過ぎたら痛風患者

   2015/03/26

私が、初めて「 痛風の気があるので気をつけて下さい。」と医師から告げられたのが、健康診断を受けた24歳の時でした。

その時は、自覚症状もなく実感わかずにいたので、「 フ~~ン 」ぐらいにしか思っていなかったのですが、38歳のとき仕事中に右膝に水が溜るようになり、パンパンに腫れ上がり歩くことが出来なくなりました。

その頃、長距離トラックの運転手をしており右膝に激痛を感じたのが、福島県で、自力では足の上げ下げができず、右足にタオルを巻きつけ、タオルを使い手で足を持ち上げながら、アクセルとブレーキを操作し、大阪まで何とか帰ってきました。

右膝の激痛だったので、整形外科に行ったのですが、膝の水抜きと痛み止めが処方され、時折リハビリに通う感じでしたが、激痛はやわらいだものの松葉杖がなくては、歩けない状態が数日つづいたので、大学病院に行ったところ「 結晶性右膝関節炎 」と診断され数日後、内視鏡による膝の手術を受けました。

話は、飛びますが、16歳の時、右膝関節をオートバイ事故で骨折しています。
その後遺症で、右膝に水が溜ったと思っていました。

痛風と結晶性右膝関節炎

右膝関節手術から1年、再び右膝に水がたまり激痛が走りました。

1回目と同じ結晶性右膝関節炎と診断され、2回目の膝手術となったのですが、そのとき初めて痛風の影響があるのではと告げられました。私は、てっきり事故の後遺症みたいなものと思っていたので、まさか痛風が影響しているなんて思いもしなかったです。

膝のことを考えると肉体労働は避けたほうがいいと医師に言われ、トラック運転手を辞め、暫くは膝に負担の少ないタクシー運転手として働いていたのですが、その後、縁ありエンジニアに転職しました。

エンジニアの仕事は、はじめの頃は何事もなくこなせていたのですが、仕事に慣れた頃くらいから、重たいデスクトップパソコンなどを階段で運ぶような仕事がつづいた数日後には、右膝に痛みが走るようになり右足をかばいながら、暫く仕事をつづけていたのですが、ある日あまりの痛みで起き上がることもできず1週間ほど寝込みました。

2回目の手術の時、「 痛風ですね。」とハッキリ言われていたのに、自覚症状もなかった為、痛風のことなんかほとんど考えることもなく、「 また膝か!」と病院にも行かず、痛みがとれるまで我慢、仕事、また寝込みを、繰り返していました。

痛風治療薬は、一時しのぎ?

あまりにも繰り返し寝込むようになったので、これはイカン!と思い病院へ

当たり前のように、痛風と診断され薬を処方されましたが、一時の痛みはとれるものの激しい動きをした後は、また寝込むを何回も繰り返し、1ヶ月寝込み、3ヶ月寝込み・・・

しかし、どこの病院に行っても、「 痛風ですね。」と診断し痛み止めと痛風の薬を処方してくれるのですが、どの薬も一時しのぎにしかならず、最終的には起き上がることが、まったく出来なくなり、尿瓶片手に6年という長い痛風激痛との闘いになってしまいました。

今なら言えます。「 痛風の気があるから気をつけて 」と告知された時、どう対処しておけばよかったのかが。

痛風激痛からの解放

もし、これを読まれている重度な痛風の方がおられるようなら、あきらめないでください。自覚症状があまり感じられていない痛風予備軍なら、それ以上悪化させないよう日頃の生活を見直してみてください。

病院で当たり前のように処方してくれる薬は、私のように一時しのぎにしか感じられない方もいるかもしれません。そう感じているのなら、何件か病院をまわってみてください。必ず身体にあった効果が感じられる薬があるはずです。

私は、6年間寝込み痛風の激痛と闘ってきました。その結果、今は痛風と上手につき合いながら、趣味の音楽も楽しめるようになっています。何人もの医師が私の痛風をみてきました。しかし、誰ひとり私を歩けるようにすることは出来ませんでした。ひとりの医師をのぞいては・・・

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